モリタヤスノブログ3.0

森田泰暢のブログです。福岡大学商学部の教員でヒマラボの代表理事でもあります。思えば遠くへ来たもんだ。

20180901 Xデザイン学校大阪分校BC 第4回質的調査と記述に参加

8月31日の商品開発・管理学会@京都大学での発表を終えて、こちらへ参加。実家で1泊してこの日を迎えようと思っていたら急遽泊まれないと連絡が入り、京都でホテルをとってゆっくりする。すぐ寝ようと思っていたけど、フィールドワーク前日だったので、昔にフィールドワークやった時のblogを読み返しながら、寝落ち。朝を迎えて会場へ。

この日は京都をフィールドワークして「豊かな生活体験」について調査。概念化を改めて理解することを主目的としつつ、探索的情報収集を行う。(探索的情報収集→概念の模索→仮設生成、という枠組み自体も概念化されたものだ)。東京から来てくれた、きよえ氏さんも一緒にチームに加わる。柔らかい雰囲気があるけど切れ味もありそうで心強い。3人で2チームに。

フィールドワークへ

今回のテーマはあくまで「豊かな『生活』体験」の調査。楽しそうな観光客の行動を見つけるわけではない。観光客は比較対象としては良いけども主眼ではない。観光客もいて、生活感もあって対比できる可能性がありそうなところはどこかなと考える。ひとつは、「市場や商店街」。生活の跡もあるだろうし、観光客もいそう。もう一つは古民家かなと「祇園周辺」。京都駅からここに来るまでの間に祇園の裏を通って来た。こんなところにも民家が結構あるんだと印象に残っていた。講義が始まる前からフィールドワークは始まっている。
私たちのチームは祇園周辺を探索することに。調査4時間とはいえすぐに時間無くなるのですぐに出発。

街に出てすぐに気づくことは、生活そのものを行為として表現してくれる人なんてほぼいないということだ。遠目から写真を収めるだけの限界。行為を見つけ次第その人を捕まえて行為の背景を聞くか、生活の「痕跡」を複数見つけてイメージするか。私たちのチームは、「何やってんのあれ?」と思ったらすぐに背景を聞くことに注力した。

お参りをしていたおばあちゃんやおじさん、少し家から顔を出したおばあちゃん、伊勢から軽トラックに乗って魚を住宅街に売りに来ていたおじさん。

仮説は持たずに、ただただその人が話すことを聞いていた。「もしかして●●ってことですか?」という検証的な投げかけはしていなかったと思う。


決定的なセリフは「あんたら、そんなことも知らんのかいな」だった。その社会の常識を語り始めるフレーズ。何にも知らない、わからないとただ聞いた。

観光客も目に入る。人通りが多いところに行った方が行為している写真が撮れるんじゃないかという誘惑もある。それでも人が少ないかもしれないが住宅地のある路地に入って行った。

帰って来てKAカード作る

伊勢から来た魚屋さんに刺身食べさせてもらったりもしたフィールドワークだったが、おもしろ写真は必要ないよなと却下。豊かな生活に関わりそうなものを選ぶ。ここでも「この写真には何かあるに違いない」という事前仮説が湧きそうになる自分を抑える。面白そうな写真を選ぶのではない。

KAカードの作成。フィールドワーク中に生活者にインタビューしてよかったと感じる。心の声が少しわかる。価値も少しわかる。お参りに来ていても何の神様かわかってない人もいたし、わかっていてもお参りのルーティンの意味までわかっている人もいない。

価値マップの作成と破壊

KAカードには「信用」や「安心」という言葉もよく見られる。安心カテゴリみたいなものがすぐに作られていく。私もチームのメンバーもそうだねとまとめていく。その時にとても不安になった。あまりにスムーズだからだ。スムーズに進む時は、みんなが自分の持ってるフレームに簡単に収めてしまう時だ。自分の主観が出ていて、大事なことは見落とされている。何かがおかしいというアラームくらいは私の中にも鳴るようになってきた。

隣のチームを浅野先生がチェックしていた時に「それ本当に豊かなの?」という声も耳に飛び込んで来ていた。目の前のものをもう一度無になって見てみる。「あれ?京都の人って安心を作ろうとなんて本当にしてるんだっけ?」と思えた。
市場や商店街を回ったチームが見つけた写真を改めて見れば、通りごとに行き交う人の属性が分かれている。他にもこんな写真が関連していたんですと新しい情報もメンバーから出てきた。自分たちがインタビューした一見さんお断りのような古民家。街にいる人みんなを安心と信用で包むというより、うまく分けようとする仕組みがあるんじゃないかという話ができるようになって、価値マップがどんどん変化し始めた。チームでも時に固まりながらも(みんなグッと考えているのがわかりました)言いたいことを言いつつマップを作り、結果的に比較的うまく京都の社会システムに迫ることができた。プレゼンは長くなってしまった。。。

スムーズに解釈できそうなことを考える、感覚的に面白そうだと思える方向に進めるというのは、まだ自分の思考様式を捨て切れていない。過去の経験が多いほどきっとこのスムーズな思考パターンの数が多いので大変だとは思う。

みんなが納得する時は危ない。みんながじゃあこうかもしれないと思考が広がっていく時は良いのかな。

安心したくなる自分を引っ込めて、目の前の事実に向き合う。アンラーンというか、必殺技を捨てるというのは、安心への誘いを認識して無視することなのかなと感じられた。無視したらうまくいっちゃったんだから、やっぱり自分のフレームなんて大したことないんだと再認識できた。

「典型的なエスノグラフィ」がこれなら、とても楽しい。これはハマる。