11月21日常葉大学・成安造形大学・九産大合同RTDワークショップと情報の構造化とちょっと初年次教育のノートテイキング
UXJapanフォーラム前日の11月21日(土)に、常葉大学、成安造形大学、九州産業大学が合同で、リアルタイムドキュメンテーション(以下RTD)のミニワークショップを行いました。参加者はすべて学生(1年生から4年生まで混成)で、講師も常葉大学の学生。経験デザイン研究所の浅野先生もこの場にはいてくださっておりました。
常葉大学の学生はグラフィックレコーディング(以下グラレコ)やRTDで様々なフォーラムなどに参加している超経験者。グラレコやRTDの研究会も自分たちで作ってます。
普段そういったことをやったことも聞いたこともない九産大の学生に教えてもらおうという機会。
当日あったことや参加学生のリフレクション
当日は「私たちが記録する意味」や、ペンの使い方、記録の仕方についての講義や、短めのTED(映像なし)のRTDを行う演習が行われました。
WSの準備
常葉大学の学生による講義
ペンの使い方練習。初めてだと隣を見る人も出ますよね。RTDの時も同じで。でもRTDだと見ている間も音声は流れ続けています。
まず枠を書いてから内容をあてはめる形式でRTD
こんな形になったり
ひととおり終わった後に観察者だった成安造形大学の学生がリフレクションをしてくれます。これも良かったなぁ。
当日どんなことがあり、何を感じたかは当事者であった学生のブログに詳しく書かれてあります。
九州産業大学の学生
・11月21日 RTD ワークショップ in九州産業大学 - もりみちです。
・リアルタイムドキュメンテーションについて - j-ksu’s blog
・RTDワークショップを終えて - lylylyly_lyのブログ
常葉大学の学生
まとめるとですね、
九産大生
・リアルタイムに情報をまとめるのは、面白そうでかっこいいけど難しい
・普段やっていることが情報をいったん収集して、それから並び替えて構造化すること
・情報取捨選択の能力やスピードが大事
・絵が描けない
・「何を記録するか」「誰が記録するか」「誰のために記録するか」
・私のことを教授だと勘違いしている(←そんなに悪い気はしない)
常葉大生
・記録する上で時系列はあまり重要ではないかも
・グラフィックに頼らなくても伝わるやり方があるかも
・自分たちがなぜこのように付箋を配置しているのか言語化できない
九産大生はリアルタイムに記録をしたことがない分、RTDで行われている段階をひとつずつ言語化していっていたように感じます。
当日も「時間がないのでまず構造から作って・・・」とか「普段は情報集めてゆっくり考えながら構造を作っていくので・・・」など構造に関するコメントがたくさん。
そういったことを聞きながら常葉大学生は自身のやり方を教えることで見直すきっかけになっていました。素直に聞き入れて自分のものにしていくのは素晴らしい。Teaching is Learning。
常葉大学の学生が普段(たぶん)やっていること
これは常葉大学の学生がやったRTDの一部です。なんともきれいですよね。講演中はこんな感じでリアルタイムに記録され、終わって少し経つとこのくらいに仕上がっています。
色々な学生の振り返りを読んだり発言なんかを聞いたりしていると常葉大学の学生は
・情報の収集
・情報の取捨選択
・情報の構造理解
・情報の再構成
・情報の配置
ということをリアルタイムにやっているんですよね。きっと。いや、すごいけど。
講演内容などが分かっている場合は「情報の予測」も最初にやっていそうです。
RTDと記録
RTDやグラレコで出来上がったものってかなり「美しい」んですよね。ただ本当に目の前で表現されたそれは議論を可視化し、共有に足るものなのか。
RTDやグラレコの「主観性」は面白みもあると思います。言い換えると「私はあなたの話をこう受け取って、こう理解して、書きましたよ」ということです。
これは誰にとって面白いかというと「登壇者」「話し手」にとって面白いんですよね。「あぁ、自分の話ってこう理解されているのね。ここは言い方変えなきゃいけないな」とか考えられたりして。
同じ話に対してたくさんのRTDやグラレコを提示して比較し、話し手とのディスカッションで、話し手が内省するのにはいいですよね。(書き手も内省できますけどもね)
ただ「記録」という観点ではどうか。
議論や講演などの「記録」という点では、そこで何が話されたか、ということが客観性をもって構造化されている必要があります。極端に言うとその場に参加できなかった人が後から読んでもおおよそ流れと内容が捉えられるものです。
流れと内容の理解という点では、時系列的なものが良い場合と時間軸を超えた再構成が行われたものが良い場合があるでしょう。
議論の変化を追いたい場合。例えばユーザーインタビューなど、どこで気持ちが変化して言葉に変化が表れたのかを知りたい場合は時系列のほうがいいですよね。
要は何が話されたのかを知りたい場合。会議の記録など、目的と決めたいこと、そして何が決まり何が決まらなくて、次どうするのかが知りたい場合は時間軸よりも再構成された情報が知りたいですよね。
RTDやグラレコが万能ではないかもしれませんし、その場にいなかった人が共有するところまでは難しいものなのかもしれませんが、でもまだまだ伸びしろがありそうに思えました。
専門性が高いような講演の場合、どの用語がキーになるかも知識を問われますよね。業界の知識が豊富な人とそうでない人とのRTDの違いも見てみたいなと感じました。
学生もブログに書いていましたが、「誰のための記録」、「何のための記録」、「どんな人が記録するのか」は面白いポイントだなと思います。
RTDそのもののリフレクション
これは常葉大学の学生もやりたいことかもしれませんが、パッと見キレイだけど、ちゃんと情報が整理されていて、内容が構造化されているのかをよく見て、「こことここの矢印書いてあるけど内容は繋がってなくない?」とか「なんでこの情報飛ばしてるの?大事かなと思ったんだけど」というディスカッションができると良いんだろうなと感じています。
RTDやグラレコを見た時に「わぁきれい」だけだと(でもまぁ絶対そこに感動するんですけども)、大きな絵を描きに来たアーティストと同じになってしまいます。そうなると絵の美しさを発展させるほうにどうしても進んでしまいますしね。
そういった点では、RTDが完成した時に床に散らばってる付箋も、結構貴重なデータです。
どの情報を捨てたのか。
個人的には1枚のRTDで1時間でも2時間でも話し込めそうです。
(ウザがられそうなのでほどほどにしますけど)
初年次教育におけるノートテイキング
私が個人的にRTDについて興味を持っていた理由のひとつは、1年生向けにノートの取り方を教えるときのヒントになるかなぁと感じていたからです。講義を聞きながら、それをリアルタイムにノートにまとめるのも一種のRTDですしね。
で、今回のWSを観察して学生の振り返りを見た時に、先ほどの「情報の収集」から「情報の配置」までのプロセスをリアルタイムに行う難しさを改めて感じました。
しかし初年次教育のノートの取り方のページを読んだりしていると、情報の構造理解や再構成、再配置のことまでが、結構さらーっと書いてあったりするんですよね。メモをとりながら講義の流れを矢印で結んだりチャートっぽく書けると効果的、とか。頭でわかっても、こういうWSを経験したことのない1年生が実行するには難しすぎることが多いです。
最初は「情報の収集」をきっちりやってから、それを再整理する。そのプロセスの中でちょっとずつ構造化ができるようになってくる。そう考えると、1年生に対してノートの取り方を教えるなら「まずはとりあえず全部メモれ」しかないですね(あとは予測できるように多少の予習。そ、そうなるとシラバスきっちり書きなさいプレッシャーも出てまいりますが。。。)
1年生向けのゼミナールなんかだと、まずめげずにちゃんとメモれるか、そのあとはゼミ内で少しずつ情報の構造理解と再構成、配置をやっていけばいいのかなと感じたりしています。
構造化ができるようになれば、それはプレゼンテーションでも基本的に同じですしね。汎用性は高いです。
ということで「情報の構造化」についてとてもよく考えさせられた1日でございました。
またこのWSについて事前に考えていたことも次のブログで。