20220222 ディアルガとアルセウス
ここ一週間くらい、グズグズしたり。
各方面から色んなお誘い頂いたり、ミーティングに呼んでもらったり、メッセージももらえたり。全部ポジティブなんだけど、なんだか毎日気持ちが盛り上がらず。
ゼミ生は頑張っているし、知らぬ間にいろんなこと進めているし、そういうのを聞いては瞬間的に気持ちを取り戻したり。VR卓球とか企画して進めていると思っていなかった。
わが子もかみさんも勿論ポジティブに接してくれている。
刺激を作り切れてないのだろうな。大きく環境を変えようとすることばかりが頭をよぎってしまうのはそういう時だ。良さそうな雰囲気が漂うもの全てに、それやってどうするんだろうと思えてしまう時。良くはならなくても楽しんでるのであればいいじゃないかと。
多分何か新しい知的生産になってなさそうに感じてしまうのかもしれない。同じようなことを同じ場所で同じような時間の使い方をしながら同じ人とやっているような停滞感を。大前研一の何かを変える三要素の逆。
そう考えると、改めてやっぱり自分がやってきて、これからやろうとすることを素直にやるのがいいのではと一周まわってくる。ちゃんとシチズンサイエンスのことをやる。太宰府や九州という地域のことを考えてやる。
カマタテクナスの社長に「何かをやり始めても、やめたと言わなきゃいいんですよ」と言われた。私に向けてではなくて、ビジネスにおいての話だったけど。コネクティング・ドッツ的にどこかで繋がってきますよねと。
大学教員になってから、私は地域に入るときは極端に狭く・深く・長くやろうとするのだけど、他はその逆になってしまうことがあって、やり散らかしに自己嫌悪してしまうことがあった。
またやり散らかしにならないか、が心配だったのだろうな。お祭りのような終わり方をするのではないかと。あれもこれも中途半端に終えてしまったという感覚を残して。
これからやろうとすることは、私の農学研究科での院生時代や会社員時代とも結びつくことだから、それも継続してたものとして繋げていけばいいんだろう。
書いていてまたまた「なんだ私は狭く・深く・長くじゃないことに怒りを覚えるのだな」と自分を振り返れてきた。
今の勤務先にきて5年ほどの間も、ずっと何か消化不良な感じが続いていたのもそのせいかもしれない。
時間をかけて、創造をしなくてはいけない。空間を作るのは最近ちと違うのかなと思うようにはなってきた。コミュニティは合わない他者をバカにする分断を生む怖さがある。なんかやりたいことはそういうことじゃない。「わかっている人とだけ、好きな人とだけと気持ちよく」に若干限界を感じている。