20220302 私に必要なのは小説だったかもしれない
小説を書かないと、と感じる。
自分の衝動からスタートして、衝動の表れとしてヒマラボ作ったり、太宰府に入ったり、市民研究を進めたりとするけど、「世界観」の共有ができないからチマチマとした部分の連続になる(ちょっとズレそうにもなる)し、私からなんだか活動が遊離しない。世界観の継承をするメディアがいる。自分が死んだら終わってしまう。
SF、漫画、アニメ、映画、コント、etc。
写真的で静的な到達点のようなものではなくて、状況や動的なプロセスを示すもの。
Marvelシリーズはイノベーションが社会に生まれたときの世界観が示されているのでよく観てしまう。
GAFAだとGoogleのミッションは研究テーマのようであり、世界観も伝わるので個人的には好きだ。Appleが昔作ったショートムービーも。
2年前にゲームに関するパターンを見つけようと、売上ランク上位のゲームの販売前映像に含まれるパターンを学生と探ったけど、『それぞれのパターンを最後は「世界観」が統合させますね』、で終わった。でも世界観ってなんだ?を積み残したままだった。来年度のクリエイティブ・マネジメント演習3のテーマ、どうしようかなと考えていたけど「世界観の探究」にしようと思う。いやでも私すぐ変わっちゃうけどなあ、でもいいか。
ゲーム会社の方々とも一緒にシチズンサイエンスしてみたい。コリッコカフェの皆さんとも。他にも一緒に考えると楽しそうな人たくさんいそう。
ヒマラボでもアリストテレスの詩学を読んで、それをもとにビジネス小説を書く試みもされていた。あれも本当に良かった。
世界観について考えよう。書いた小説を石板に刻んで残せるように頑張ろう(笑)