20220305 多様性の理解と他者の理解
ダイバシティ&インクルージョンが大事と言われる。
人それぞれ違うし、その違いを受け入れようね、包摂しようねはまあ言葉としてわかる。
「あの人とこの人は違う。あの人とその人もまた違う。その人とこの人も違う」
ってちゃんと理解しようね、と
そうなると、ダイバシティって人と人との間に無数の境界や壁を作っていくことになる。
じゃあそのマネジメントをするってどういうことなのか。
その無数の壁を取り除こうとすることなのか、壁越しにやり取りすることなのか、どんなイメージなんだろう。自分たちで壁作っておいてから取り除こうは意味不明だもんな。
コロナ禍のテレビみたいにアクリル板横に置いて話すみたいな感じかいな。
うすーく、でも、確実に人と人との間に境界を置く。だって違うから。
アクリル板を横において話すイメージだとしたら、人と人とのコミュニケーションなんて考えるより、ホワイトボードに向かって話すしかないよな。
共通の課題に向けてのみ話す。
多国籍メンバーでやるとお互いの背景をいちいち聞いたりしているとキリがないし、文脈の共有なんて絶対にできないから、その場にみんなで解くべき課題があるときには、そこに向けて集中できるそうで。
つまり他者理解なんて必要ない状況を作ることになるのだけど、あれそれはダイバシティマネジメントなのだっけ、と、まあ考えたりする。
社会人と学生が一緒に課題に取り組むプログラムを作ったけど、お互いの立場を聞き合わないくらいで前に進んでる時はうまくいってるのかもしれない。
でもトランザクティブメモリは高まらないか。うーん。でもそれはダイバシティマネジメントとは違うか。